バレーボールを頑張っていたときの話

 

バレーボールを始めたのは中学生のときで、通っていた中学校の部活だった。私以外にも同級生が7人、計8人が入部したんだけど、8人中6人が経験者で「マジかよ」と思った。

 

はじめの頃は同級生みんなでボール拾いをしたり、空いた時間にバレーボールのやり方みたいなのを教えてもらったりした。多分まだこの頃は「こいつを蹴落としてレギュラーになってやろう」とか、そういうことは考えてなかったと思う。勿論、私もそういうことは全く考えてなかった。

 

5月に入部してから3ヶ月が経つと割とバレーボールができるようになっていて自分でも驚いたのを今でも覚えてる。経験者の同級生は当たり前だけど私よりも上手で、そこではじめて「悔しいな」と思った。

 

その日のミーティングで顧問が「1年生のポジションを決める」と言って、みんながザワっとしたのが分かった。「A、お前レフトやってみろ」「B、お前はセンター」みたいな言い方で「こっちの希望を聞くとかではないんだな」と理解した。で、私の番。「たんぽぽ、お前セッターやるか?」と言われた。私は内心すごく嬉しかった。自分がやりたかったポジションだったので「はい!」って大きい声で返事をした。でもその日の帰り道、同級生に「"はい"じゃないねんけど」って言われて部活でも若干いじめられるようになった。その子も私と同じでセッターになりたかったらしい。正直、腹の底から「知らんがな」と思った。

 

それから数日後、夏休みに合宿に行くという話があった。「朝から晩までバレーボールができる」そう考えたら本当に嬉しくて楽しみで家に帰ってすぐに母親に「今度合宿がある」と伝えた。返ってきた言葉は「そんなお金ない、あんたは行かんでいい」だった。「あ、そうだった。私の家めちゃくちゃ貧乏なの忘れてた」と思って風呂で泣いた。次の日、顧問に「家の都合で行けません。予定があります」と言うと少し怒られた。でも中学生の私に「お金がないので行けません」と言う勇気はなかったので仕方がなかった。

 

それから秋になった頃に問題が起きた。顧問の体罰が露見した。そもそもバレーボール部は顧問の体罰が暗黙の了解みたくなっていた。実際に私も殴られたし、凍ったペットボトルが飛んできたこともあった。それでもみんな辞めないんだから部員本人は納得していたんだと思う。ただ当たり所が悪く鼻血を出した部員(Cさん)がいて、その鼻血がついた服を親が見つけて学校に連絡をしたらしい。「すまんな、もう俺はお前らの顧問でいれない」と泣きながら言う顧問を見て私もみんなも泣いていた。誰もCさんを責めたりはしなかったけど多分誰もがCさんを心の中で責めていた気がする。Cさんは学校を休むようになって部活も辞めていった。

 

新人戦まで時間もないのに。とか、やっと私たち1年生を中心に指導してくれるようになったのに。とか、色々考えたりしたけど、こういうのは子供が何を言ってもどうにもならないんだなっていうのが何となく分かった。色々あって、中学校の近くの体育館で小学生にバレーボールを教えているオジさんが週に2日、私たちにバレーボールを教えてくれることになった。たった週に2日間だったけど、私は合宿に行けなかった3日間を思い出して「たった3日間で私は下手になって、みんなは上手になっていた。この2日間は絶対に無駄じゃない」とかジャンプの主人公みたいなことを考えたりした。

 

新人戦前日、ユニフォームを渡されたときの高揚感は多分死ぬまで忘れないと思う。私は2番で副キャプテンだった。間違いなく人生の中で1番輝いていたと思う。1番でキャプテンの子は、私に「"はい"じゃないねんけど」って言ってきた子だった。「どんなトスでも私が決めるから」と言われて正直ウケた。マジで青春じゃねえかと思ってウケてしまった。でもすごく心強かった。帰り道に1年生みんなでジュースを買って乾杯をして家に帰った。

 

新人戦当日、めちゃくちゃに緊張した。「こんな練習量で本当に勝てるのか?」とか「トスミスしたらどうしよう」とか「初っ端のサーブミスったら殺される」とか、そういうのをずっと考えてた。私は緊張するとトイレに行く癖があるので当たり前にトイレに向かった。そこで顧問に会った。多分来てはいけないのにサングラスをかけて来ていた。私は多分「あ」とか「は」とか言ってびっくりしていた。顧問は何も言わないで私の背中をかなり強めに叩いて2階の客席に上がって行った。みんなの所に戻ったときに私は顧問が来ていることを言おうか迷ったが、結局言わなかった。

 

試合内容はあまり覚えてないので省くけど結局私たちの中学校は準優勝だった。私以外のチームメイトは泣いていたけど、私は特に涙は出なかった。「週2の練習で準優勝って顧問がいたら絶対優勝してたやろ」とか「てか準優勝ってすごない?盾みたいなん貰えるやん」とか、そういうことを考えてた。

 

次の週の全校朝礼でバレーボール部は表彰されて、盾と賞状とメダルみたいなのを貰った。朝礼が終わってからすぐに顧問に会いに職員室に行くと、教頭が気を使って会議室を貸してくれた。顧問はまた泣いていた。「おめでとう」「すごいな」「よくやった」とか、そういうことを言っていて、私はすごくムカついて「でも顧問がいたら優勝してました」と言ってしまって空気がエグいことになったのを覚えている。

 

それから私はバレーボール部を辞めました。これ以上バレーボールをしていても自分の中で特に意味がなかったからです。

 

当たり前だけど部活を辞めたらまたいじめられるようになった。だから学校にもあまり行かなくなったりしたし、成績もクソもないぐらい勉強もついていけなくなった。その度に顧問は「すまんな」と私に言ってきた。「マジでもっと謝れ」と思った。私は顧問がいるバレーボール部でバレーボールをしたかったし、推薦でバレーボールの強豪校に行きたかった。

 

卒業式の日、私は友達もいなかったので顧問にだけ挨拶をしようと思って職員室に行った。「3年間ありがとうございました」と頭を下げると顧問はまた泣いて「すまんな」と言った。私は「本当にそうですよ、私絶対に推薦で高校行きたかったしバレーボールずっとやりたかったのに」とかそういうことを言いながら泣いた。「あの時、優勝できなくてすみませんでした」と、ずっと言いたかった言葉も言った。

 

顧問は笑って「1番格好良かった」と私に言ってくれた。

 

短い間だったけど、バレーボールを頑張って本当に良かった。と、心の底から思った。